社長について

どんな人間なの?

生来の周旋屋

家の墓は小高い丘の上に建ち、大きな石碑のまわりに10何代も前からの先祖の墓が並び、草ぼうぼう、 爺様3兄弟は京都大学・東京大学・いまの東京芸大をそれぞれ出て、内務省・国立大学教授・陶芸家と つまらない生涯を終えております。エリート意識の強いそんな間抜けな環境で生まれ育ちましたから、 学歴・職歴・外観に見栄やはったり、すべてなんの興味もありません。
本家の長男として生まれましたがとにかく落ち着かない家で、小学校だけで6回の転校、 その後ものっぴきならない諸事情により転居は多く、かれこれ25回くらいは引っ越しを経験してます。 桃太郎少年合唱団から剣道有段者、高校はラグビー部、広島カープの赤ヘル核弾頭だった山崎隆造なんかは入学時は同級生、 卒業は1年遅れになりましたが、生まれながらのカープファンです。
20歳の頃、大学中退して自費出版の雑誌を作り、寺山修司や谷川俊太郎らと無理やり対談特集を組んだり、 それでもアイデアだけではなかなか思うように行かず、在庫の山と借金取りに追われて飛び込んだのが不動産の訪問販売会社、 よくある成功話の通り3か月で借金を完済し2階級特進、全国の営業所の建て直しに奔走してましたが、 取締役昇格を機に興ざめして退社、信託銀行の不動産部へ入社、 不動産バブル全盛期には日本一の負債を抱えて毎日国民の批判に晒されてた大阪本社のデベロッパーの東京支店開設に携わり、 独立自営という、これもまたよくある話です。
バブル全盛をド真ん中で経験しましたから、政治家・芸能人・プロスポーツ選手らとの飲み食いも派手に経験し、 ギャンブルで家を2軒くらいは飛ばしてたり、女性関係も海外を含めてロマンス激しかったのですが、 40歳を機にギャンブルはすべて止め、いらい借金・負債なく貸し借りなく、実家の借金まで完済し、向後の憂いなく、 子供の頃に戻っての山登りと海での遠泳・地球遊びだけを趣味にして、遊びを極めつつあります。
生きてるうちに回顧録を書いたり、波乱万丈記を残すようなケチな善人にはならないで、キチンと生き切る。
60歳を超えても、まだまだ生涯現役の、ただの変な爺ィです。
いまは人のいない1500m以上の奥山ばかり毎週のように登り、夏は太平洋で沖に泳ぎ出る、そんなことばかりに夢中になってます。

オストメイトって何?

オストメイト

還暦を前にして大腸を患い、後悔のない一生だったと8時間を超える大手術に臨みましたが、運が良かったのか悪かったのか、 オストメイトという人工肛門保持者・身体障害者となって三途の川から舞い戻ってしまい、 半年に渡る術後の生き地獄のような日々にも里山歩きとプール歩きを始め、退院半年後には2000mの山の頂に戻っておりました。 太平洋でも沖に泳ぎ出ました。 それ以来、大量に出されていた薬類はすべて破棄してしまい、いつ死んでも良いと笑っておりますが、 退院時15キロ痩せた身体が4年後の今では20キロ肉がついてしまい、これはいかんとせっせと登山と遠泳に日夜励んでおります。 オストメイトで登山、オストメイトで遠泳、オストメイトの装具や生活全般の悩み相談みたいなこともしております。 不動産全般は出来て当たり前ですが、オストメイトの悩みも気軽に無料で聞いてアドバイスを差し上げております。 介護されてる家族の方や、看護されてる方でも、遠慮なく気軽にお越しください。 あくまでも自分のやってきたことや経験談しかお話ししませんが、健常者と同じ生活に戻ってるオストメイトの笑い話なら幾らでもして差し上げてます。 オストメイトへの正しい情報や装具の知識など、まだまだこの国は後進国です。 オストメイトでもこんなことも出来る、あんなことも出来る、 そんな未知なる世界に足を踏み入れてもおります。

オストメイトのための専用ホームページもやってます。
こちら→オストメイトで笑って生きる

ナニが愉しいの?

この仕事のやりがい

まだシングルマザーという言葉が聞かれなかった時代、20年以上も前から離婚相談や育児相談、 豊富な自分の経験を生かして無料でいろんなトラブル解消のお手伝いをさせてもらってますが、 当時に比べれば社会も価値観が変わり、母子家庭への偏見・差別も減ってるように見えますが、実態はやっぱり大変な状況です。
一緒に遊んであげたりすることも多く、銀座周辺の母子家庭との関わり合いは終わらない、 それでもまだまだ口コミで広がってるようで、いまだにいろんな相談が舞い込んできております。 そんな家庭の子供たちもすでに成人してる子も多くなり、銀座の街で偶然に会ったりすると嬉しいもんです。
会社を大きくしたり、大儲けして金持ちになりたいとか、有名になりたいとか、そんな望みは起業の時からまるでなく、 喰いきれない魚まで馬鹿みたいに獲ることなく、今日足りるだけ獲れば仕事は終わりにする、そんなスタンスで生きて居ります。 桁違いだった不動産バブルを経験して来ると、金儲けだけの仕事など退屈なことでしかなく、おなじ人間同士の終わらない勝ち負け競争にも飽いてしまってる。 時代は大きく変わって来ていて、人間社会の価値観も大きな転換期を迎えている、ずっとそんな確信で死ぬまで皆さんの傍で生きて居ることになるんでしょう。
うちの店の前は、20年くらい前までは廃校になった京橋小学校の校舎があり、薄汚れたプールがあった。 猫が道路でのんびり毛づくろいをして、三味線の音が聞こえて来たり、そんな銀座の外れでしたが、 今や再開発が進み新しいビルやマンションが建ち並び、賑やかな東銀座になっております。
良い悪いではなくって、銀座という街は、そんな変幻自在、次から次へと変わって行く街でもあり、そんな街で起業した以上は、 ここで静かに終わりを迎えるのも、周旋屋冥利に尽きる、そう思ったりもしております。

仕事以外では何してる?

登山と遠泳、山と海

毎週末、山に登ってるか海で泳いでいるか、人生64年、とにかく地球の上で遊んでおり、すでに月への往復を2回と半分くらい、 自分で運転して遊び惚けてますが、まだまだ足りないキリがない。
人間社会の退屈さと違って、いつも新鮮なアクシデントの連続で、そこで終わることがあるならばそれも本望だと、笑っております。

ブログは~Yahooブログで5つ星になって以降メンドクサイので~
オストメイトで山賊と海賊でひっそりと、適当に・・・。